【参照テクスト】
「即身成仏義」頼富本宏訳注(『空海コレクション2』ちくま学芸文庫、2004年)
【推定成立時期】
弘仁8年(817年)〜弘仁10年(819年)頃
空海が高野山を下賜された四十代の頃に執筆されたと推定されています。同時期に同じく密教思想における重要著作となる『弁顕密二教論』『声字実相義』『吽字義』などが執筆されました。
【時代背景】
平安時代前期、嵯峨天皇は薬子の変を制した後、天皇主導の政治体制を確立しました。弘仁11年(820年)に完成された弘仁格式は、それまでの律令体制が大きく変容していく過渡期の象徴であったとも言えます。また「文章経国(もんじょうけいこく)」の思想、すなわち漢詩文などの文学が国家経営の根幹であり、国の平和と安定をもたらす大事業であるという政治思想を尊ぶ、唐風文化が栄えた時代でした。
仏教界では、旧来の南都仏教(顕教)だけでなく、桓武天皇の保護を受けた最澄の天台宗とともに、嵯峨天皇から絶大な信頼を得た空海の真言密教が並立し、新たな「鎮護国家」形成のための精神的支柱となるべく、しのぎを削っていました。
南都仏教(顕教)が、悟りを開くためには「三劫」という厖大な時間をかけた修行が必要であるとするのに対し、空海は「即身成仏」すなわちこの身のままで、今すぐ仏になれると主張しました。その理論的証明として著されたのが、この「即身成仏義」です。
空海と同じく遣唐使として入唐し密教経典を持ち帰った最澄の天台宗では、「円密一致」(天台宗の教えと真言密教の教えは本質的に同一である)という思想によって『法華経』の教えに基づき、誰もが速やかに成仏できる、と説かれました。
【後世への影響】
真言宗の根本経典として: 真言宗の僧侶にとっては必読の書となり、その後の密教教学の絶対的な指針となりました。
日本的「本覚(ほんがく)思想」の源流: 「ありのままの姿が仏である」という全肯定の思想は、平安時代以降の天台宗(台密)にも取り込まれ、日本仏教全体の「本覚思想(草木国土悉皆成仏)」の形成に決定的な影響を与えました。
芸術・文化への波及: 「肉体や物質がそのまま仏である」という考えは、彫刻、絵画、書道、果ては能楽や茶道などの日本文化における「形式の中に精神を宿す」という美意識の哲学的根拠となりました。
【本文読解】
➀二経一論八箇の証文(にきょういちろんはつかのしょうもん)
まず初めに「即身成仏」すなわちこの身のまま直ちに仏になることが出来る、と説く論拠としての経典とその証文(証拠となる引用文)が列挙されます。
これまでの仏教では、悟りを得るためには「三劫」(宇宙の始まりから終わりまでを三度繰り返すほどの果てしない時間)をかけた修行が必要であるとされていました。これに対して、空海は、密教の修法によって「即身成仏」が可能であると説きました。
二経とは『金剛頂経』『大日経』、一論とは『菩提心論』を指します。
八箇の証文とは、『金剛頂経』四箇の証文、『大日経』二箇の証文、『菩提心論』二箇の証文を指しています。以下に、意訳します。
『金剛頂経』
⑴この三昧(瞑想)を修める者は、現世で仏の菩提(悟り・智慧)を証得する。
⑵正しい教えに昼夜精進すれば、初地(悟りの端緒)を経て、十六生(十六大菩薩の種々の悟り)で正覚(正しい悟り)を成す。
⑶この勝義(優れた真理)に依れば、現世で無上覚(最高の悟り)を得られる。
⑷自身の身体がそのまま金剛界(不滅の智慧)となり、堅固な仏の身となる。
『大日経』
⑸この肉体を捨て去ることなく、不思議な力を得て「大空位(広大な悟りの境地)」に遊ぶ。
⑹師から直接法を受け、仏と自分を重ね合わせて「相応」すれば、この生のうちに悉地(成就・悟りの境地)に至る。
『菩提心論』
⑺密教(真言法)の中にのみ「即身成仏」が説かれており、他の教えには書かれていない。
⑻菩提心に通達すれば、父母から授かったこの身体(父母所生身)のまま、速やかに仏となる。
〈補足として〉
「十六生」:
金剛界曼荼羅の中心である「五仏(五智如来)」を取り囲む十六大菩薩を指し、その様々な悟りの境地を我が身において自覚し具現化すること。「悟り」を修行による時間的な到達点としてではなく、宇宙的な即時的直観の中に見出しています。
「不捨此身」「父母所生身」:
伝統的な仏教においては、肉体は不浄なものであり、捨てる(厭離する)べきものとされました。これに対し、空海は親から貰った肉体そのものが、仏の現れであるとしました。これが「即身」による成仏を主意とする哲学的根拠と言えます。
「法仏自内証」「相応」:
「悟り」は外にある客観的な真理を理解することではなく、自分の内に本来的に備わった仏性を見出すこと、宇宙の仏性に自分自身を重ね合わせることとして捉えられています。

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