⑤「三密加持」について
宇宙のすべてを構成する「六大」という物理的・精神的要素は、「四曼」という属性を通じて無限の曼荼羅、「三密」という宇宙の活動と重なり溶け合って、この世界に表現されています。そして、私たち一人ひとりもまたこの宇宙の一つの現れとして「六大」が「四曼」によって現れた存在であると言えます。しかし、私たちが日常においてそれを認識することはありません。空海はここで、私たち自身がこの認識へと至る手立てを「三密加持」として説きます。
❶「三密とは、一には身密、二には語密、三には心密なり」
⑴身密(しんみつ):形象。身体的な動き。(印契)
⑵語密・口密(くみつ):言葉。音声的な響き。(真言・マントラ)
⑶心密・意密(いみつ):心の有り様。深い瞑想状態における真実の意志や慈悲の心(三摩地)。
「法仏の三密」は宇宙の根源であり極めて深く微細であるため、仏と同等の位にあるとされる菩薩でさえそれを見聞きすることはできません。そのために「密(秘密)」言われています。すなわち「密」とは、たんに「隠されている」という意味よりも、「あまりに深遠で広大すぎるため、通常の認識能力では捉えきれない」という意味で用いられています。
一つひとつの仏は同じように無限数の「三密」を持ち、それらは互いに入り混じり、互いに支えあい「摂持(包摂)」されている、と説きます。さらには「衆生(私たちを含むすべての生命あるもの)」の三密(身体・言葉・心の働き)もまた、本質的には仏のそれと同じ構造を持つものとされています。
また、「加持」とは、「加」と「持」という二方向の働きによって「法仏の三密」と「衆生の三密」をこの身に重ね合わせる修法を指します。
加: 仏の慈悲の輝きが、私たちに注がれるという能動的作用(太陽の光が射すこと)。
持: 私たちがその光から慈悲の輝きを受け取る受動的作用(光を受け、その光を保持し、照らされること)。
この「加持」の実践として、修行者が「三密」を同時に行うことを「三密相応」と呼びます。
⑴身: 手で印を結ぶ。印契。
⑵語: 真言を唱える。
⑶心: 心を集中し、仏と一体化する。三摩地。
「三密相応して加持するが故に、早く大悉地を得」
この修法の積み重ねによって修行者の波長と仏の波長がぴたりと重なり、「法仏の三密」が修行者の「三密」の実践に溶け合うとき、「速疾に(すぐさま)」、「大悉地(最高の悟りの境地)」に到達できるとされています。
➋続いて、私たちの身体という曼荼羅を例に挙げ、「三密加持」の実践から各部位ごとに「五智」への変容が説かれます。
⑴心(胸):大円鏡智。すべてをありのままに曇りなく映し出す、大きくて円い鏡のような智慧。この智慧により「菩提心(仏になろうとする心)」が、「金剛(ダイヤモンド)」のように強固で、いかなる煩悩や魔によっても破壊されない状態になる。
⑵額:平等性智。あらゆる物事を差別なく平等に観る智慧。仏の智慧を伝承する神聖な場所において福徳(功徳)と智慧が結集し「即身成仏」を果たす。
⑶口:妙観察智。すべてのものや事象の違いを正しく認識し、観察する智慧。教えを説くという実践(菩薩行)を通じて、自らも仏と同じ真理を体得し、仏の智慧を体現する存在になる。
⑷頂(頭頂):成所作智。一切衆生を救うために神通力を発揮するための智慧。「変化身(仮の姿)」となって「難調の者(救いがたい人々)」を正しい教えへと導く。
⑸自身(全身):法界体性智。宇宙の真理を明らかにする、全知全能の統合的な智慧。上記4つの智慧の根源。何もない無限の「虚空」に世界すべての真理が満ち溢れることを悟り、自己と宇宙の境界が消滅する。
〈補足として〉
「一字にして無量」:
「一即多」すなわち一つの真言(例えば「ア」字)の中には、宇宙のすべての真理(無量)が凝縮されている。
❸法身真如観から「即身成仏」に至る道すじ
「法身(ほっしん)」:永遠不変の真理そのもの。
「真如(しんにょ)」:ありのままの真実の姿。自然として在るもの。
「法身真如観」:すなわち「法身」と「真如」とを同一のものとして、瞑想によって自身の中に観想することによって、個我を離れ、すべての現象・対立的概念は宇宙において平等であると知り、また何ものにもとらわれることなく、障害もなくなり、すべてを包括する仏の悟りへと到達すること。
「三密」の修法を絶え間なく続け「法身真如」を観じることで、顕教が「一大阿僧祇劫」(気の遠くなるような長い年月)をかけてようやく得られるほどの修行の成果(福徳と智慧)を、「即身」すなわちこの身において「頓に(すぐさま)」自らのものとすることが出来ます。それは「三密加持」の修法において、多くの如来・諸仏から加護と智慧を受けるためとされます。やがて自分と他人との区別はなくなり、ついには諸仏と同様に自分自身がその身の中に「法身(宇宙の真理そのもの)」を持つ者であることを知るのです。
「無縁の大悲」:対象や条件を選ばず、万物に対して平等に救いの手を差し伸べる絶対的な慈悲。
個我を離れ、仏と自分自身が一体化した境地では、もはや「無縁」という他人を助けようとする意識もなくなった状態で、ごく自然に生きとし生けるものに安らぎと仏の恵みを与え、衆生を悟りに導くための救済を行うようになると説かれています。

コメント