③・❶ 「六大」について
「即身成仏義」では、物質的要素としての「五大(地・水・火・風・空」と心的要素としての『識』とを合わせて「六大」と呼びます。
宇宙(あらゆる存在を包含する本尊としての大日如来)においては、これらの要素がバラバラにあるのではなく、すべてが妨げ合うことなく溶け合って万物を形成しているとされます。
対応する梵字(菩薩を象徴する神聖な文字)とそれぞれの特質を挙げます。
⑴地大:阿(ア)字。大地、固体。「諸法本不生」(万物は生じることがなく、ゆえに滅することもない。宇宙は本より宇宙そのものとして存在しているという根本原理。)
⑵水大:嚩(バ)字。液体。「離言説」(言葉では語り尽くせない真理)。
⑶火大:囉(ラ)字。熱、エネルギー。「清浄無垢塵」(汚れを焼き尽くす清らかで汚れがない智慧)。
⑷風大:訶(カ)字。空気、気体。「因業不可得」(原因や業に縛られない自由な動き)。
⑸空大:佉(キャ)字。空間的広がり。「等虚空」(虚空と等しい、何ものにも妨げられない無限の広がり。)
⑹識大:吽(ウン)字。意識、こころ。「我覚」(真理を私が悟ること)。修行の段階(因位)では私たちの迷い・煩悩を含めた意識を『識』と呼び、悟りの段階(果位)に至っては『智』と呼ばれる。
「我、即ち心位に同なり」つまり私たちの心と仏の智慧は別物ではなく、磨き上げればそのまま仏の智慧(等覚・遍知)になるという即身成仏の到達点。
〈補足として〉
「諸法とは、謂く諸の心法なり」:
「諸法(あらゆる存在・現象)」とは、いわば無数の「心法(心の働き)」である。
心王(心の本体)・心数(喜怒哀楽など様々な心の動き)のすべてを合わせて「諸法」と呼ぶ。つまり、宇宙があるから心があり、また同時に心があるから宇宙がある、と言える。
「普(あまね)く種々の有情、及び非情に遍ぜり」:
「有情(心を持つもの。人間)」と「非情(心を持たないとされる草木、石ころ、など)」の区別なくあらゆるものが、宇宙(万物)の現れである。
③・❷ 六大の「能生」(生み出すもの)と六大による「所生」(生み出されるもの)
これまでみたように六大は万物を構成する要素として「能生」であるといえる。
それに対する「所生」について、「一切の仏、及び一切衆生・器界等の四種法身・三種世間」これらすべてが六大から生み出されるものとされる。
四種法身(ししゅほっしん):「法身説法」の四種のあり方
⑴自性身(じしょうしん): 宇宙の真理そのもの。色や形を持たない本質的な法身。
⑵受用身(じゅゆうしん): 自らの悟りの法楽を享受し、菩薩のために法を説く姿。
⑶変化身(へんげしん): 衆生の能力に合わせて姿を変え、悟りに導く姿(応身ともいう)。
⑷等流身(とうるしん): 法身の智慧や功徳が流出(等流)し、衆生に説法する姿。
三種世間(さんしゅせけん):
⑴智正覚世間(ちしょうがくせけん):仏が真理を正しく悟り(智正覚)、その智慧によって衆生を導く世界・存在。悟りの世界を体現する仏の「智」そのもの。
⑵衆生世間(しゅじょうせけん):感情や心を持つ生命ある存在が集まって生活する領域。
⑶器世間(きせけん):衆生が住む大地、山河、国土などの自然環境世界。
③・❸六大を瞑想によって曼荼羅としての身体に重ね合わせること
足から臍(へそ)まで: 地大(金剛輪)。どっしりと動かない黄金の四角形。「阿字」という万物が生まれる根本の響き。自分という存在が宇宙の根本原理の上に立っていること。
臍から心臓まで: 水大(水輪)。清らかな円形の水。
心臓の上(胸): 火大(火輪)。燃え上がる三角形の炎。
さらにその上(顔・頭):風大(風輪)。動きまわる半月形の風。
円壇(全体を包むもの): 空大。すべてを包み込む空間。
瞑想の主体である「真言者(修行者)」:識大。心に宇宙を思い描く。
③・❹偈文の第一句「六大無礙にして常に瑜伽なり」について
一般的な仏教(顕教)では、「四大(地・水・火・風)」などの物質的要素は意志を持たない「非情」(無機的なもの)とみなします。これに対し密教では、これらこそが如来の「三摩耶身」が象徴的に現れた姿であると説かれています。
「色(肉体・物質)」と「心(精神)」とは、見かけこそ違えど、その本質は同じ「色心不二(しきしんふに)」です。
「色即心、心即色」: 物質と精神は分かちがたく、互いに妨げ合うことがない(無障無礙)。
「智即理、理即智」: 認識する主体(智)と、認識される客体(理・真理)もまた一体である。
これらは、私たちが二元論的に「自分」と「世界」を切り離して考えている境界線を根本から取り払い、万物に仏性を見る一元論的な教えであると言えます。
「無礙」とは自在に溶け合うこと、「常」とは不滅であること、「瑜伽(ユガ/ヨガ)」とは相応(ぴったり一致すること)を意味します。
宇宙を構成する六大の「瑜伽」、すなわち「相応渉入」相応し、溶け合っていることこそが、即身成仏の「即(そのまま一体であること)」の本当の意味なのです。

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