【ニーチェ哲学の後世への影響】
〇ミシェル・フーコーをはじめとするポスト構造主義
ニーチェ的な「系譜学」の手法は、真理や権力を歴史的・政治的な文脈で解体する現代思想の標準的な道具となりました。
〇シグムンド・フロイトの精神分析学
「本能の内面化」や「良心のやましさ(自分を責める心理)」は、フロイトの「超自我」や「抑圧」、「昇華」などの概念を予見させるものでした。
〇サルトルらの実存主義
既存の道徳を脱却し、自ら価値を創造する「超人」の理念より。
〇トーマス・マンやカフカなどの文学
「人間とは何か」という問いを、理性的な存在から「欲望や権力に突き動かされる身体的な存在」へと転換させる役割として。
〇同時代、後世の教会・神学者・キリスト教主義への影響
①フランツ・オーヴァーベック
19世紀ドイツのプロテスタント神学者、教会史家であり、フリードリヒ・ニーチェの無二の親友として知られています。彼の神学的立ち位置は、既存の神学(正統派・自由主義神学)に対する「徹底した批判者」であり、キリスト教の根源を終末論に求め、現代文化と融合した「教養あるキリスト教」を全否定した「反神学的神学者」と位置づけられます。
彼は神学者として、ニーチェの後期思想(特に反キリスト教的急進性)には同調しませんでした。しかし、初期の歴史主義批判においてはニーチェと「双子」のような問題意識を共有し、近代文化の虚偽を暴く同志でした。オーヴァーベックの評価が決定的に重要なのは、ニーチェの没後、妹エリザベトによる「ナチズムへの接近や英雄化を伴う著作改竄」に対し、冷徹な史実の擁護者として抵抗し続けた点にあります。
彼にとってニーチェは、崇拝の対象でも敵対者でもなく、徹底的に「誠実で率直な一人の研究者」でした。のちの時代に与えられたニーチェ像(狂気や神格化というヴェール)を剥ぎ取り、批判的距離を保った誠実さにおいて生身のニーチェを見ていたと言えます。彼はニーチェの「生の哲学」や「自己への沈潜」といった側面(自然化への欲求)を理解しつつも、自身の立場からその思想の限界を冷静に見定めていました。
②カール・バルト
20世紀のキリスト教神学に最大の影響を与えたスイスの神学者であり、人間の理性や文化を基礎とする「自由主義神学」を批判し、神の絶対的な啓示に基づく「神の言葉の神学」を確立した。弁証法神学、危機神学、新正統主義とも呼ばれ、告白教会にてナチスに抵抗した。 主著『教会教義学』。
バルトの評価の核心は、ニーチェが単にキリスト教を無知ゆえに叩いたのではなく、むしろキリスト教(十字架にかけられし者)が「生の強さ」を最も根本から脅かす宿敵であることを正しく見抜いていた、と認めた点にあります。すなわちニーチェは、弱さと自己犠牲を尊ぶキリスト教(十字架にかけられし者)を否定し、生と強さを肯定するディオニュソス(自身)を選んだ、と。この意味で、ニーチェのことを「キリスト教の本質を理解し、あえて拒絶した誠実な無神論者」として、安易な自由主義神学者よりも高く評価していたと言えます。
また一方で、ニーチェが叫んだ「神の死」については、人間が作り上げた偶像(偽りの神)の死として同意しつつも、その先に「自己を神とする超人」を置いたことを、バルトは最悪の偶像崇拝であると論理的に断罪しました。バルトにとっての正当な人間性とは、他者(隣人)や神との関係性においてのみ成立するものであり、自己の「力への意志」に沈潜するニーチェの超人像は、実存的な破綻を宿命づけられた「病める魂」の極致と言えるものでした。
③パウル・ティリッヒ
20世紀のプロテスタント神学者であり、神学と哲学(特に実存主義)を融合させた「相関の神学」を提唱しました。バルトの「神の言葉の神学」とは異なり、現代の疑問(文化・存在)に神学的な答えを与える、対話的で開かれた「文化神学」の立場を確立しました。 主著『生きる勇気(The Courage to Be)』。
ニーチェを「生の哲学」の代表者として評価し、ニーチェの「権力への意志」を単なる支配欲ではなく、「生そのものの現実化」や苦悩を含めた生に対する「イエス(肯定)」として解釈しました。 また「自己超克」や「永遠回帰」の思想を、ニヒリズムを克服して生の力を肯定しようとする試みとして評価しています。ティリッヒの提唱する「存在の力」は、ニーチェの「権力への意志(自分自身の存在を肯定する力」と構造的に類似するものです。
しかし、ニーチェのいう「自己肯定」や「超人」については、死や罪(guilt)といった実存的な極限状況においては、個人の「意志」だけでは支えきれない脆弱なものであると批判的に指摘しました。人間が自らを創造し続ける孤独な戦いだけでは救済は完結せず、自己を超えた「存在そのもの」に捉えられるという恩寵的瞬間が必要であるとしました。
ティリッヒにとってニーチェは、キリスト教の脆弱性を打破し、現代の人間が直面するニヒリズムを直視する際の真剣な対話の相手でした。
④マックス・シェーラー
初期はキリスト教の愛の理念を濃厚に伝えるカトリック哲学者、晩年は神を歴史的・宇宙的に生成するエネルギーとして捉える独自の哲学的・人間学的神学へと移行した。「道徳の構築におけるルサンチマン」『価値の転覆』。
道徳の根底に潜む「ルサンチマン」を暴き出したニーチェの系譜学を、心理学史上の金字塔とし、「他者との比較でしか自己価値を確認できない」という病理の指摘は、シェーラー自身の価値哲学の土台ともなりました。
しかし、ニーチェが「キリスト教愛(アガペー)」までもルサンチマンの産物とした点を、論理的なカテゴリー錯誤であると断じます。ニーチェは「キリスト教愛」を「ルサンチマンの最上の花(最も純粋な形)」と見なし、弱者の強者に対するルサンチマンが生み出したものと断じましたが、シェーラーにとって真のキリスト教的な「愛」とは、無力な者の「恨み」から生じるものではなく、高貴な精神から生まれるものであり、能動的で価値肯定的な力(アガペー)でした。
シェーラーは、ニーチェの心理的分析を認めつつ、キリスト教的な実質的価値の再評価を行うことによって、ニーチェを乗り越えようとしたと言えます。
〇日本への伝播
高山樗牛:明治30年代にニーチェの思想(個人主義、超人思想)を日本に紹介。
1901年(明治34年)1月、樗牛が『太陽』誌に発表した「文明批評家としての文学者」では、当時の退廃的な文学に対し、個人主義と超人思想を持つニーチェを理想像として提示しました。この論考により、日本におけるニーチェ熱(ニーチェ論争)が加速することになりました。また同年の「美的生活を論ず」では、ニーチェの思想から導かれる、個人の本能や欲望を肯定する「美的生活」を提唱しました。それは既存の道徳や社会的な規範に縛られず、自己の生を最大限に肯定する生き方として、ニーチェの「超人」思想を解釈するものでした。
樗牛は、結核により若くして亡くなる直前、それまでのニーチェ的な個人主義から(宗教的・絶対的)日蓮主義へと傾倒しましたが、死の約1ヶ月前に書かれた文章においても、大いなる人(偉人)となる道として、「己の小さきを悟る(釈迦・キリストの教義、攝受門)」と「己の大いなるを信ずる(ナポレオン、ニイチェの信條、折伏門)」の2つを挙げ、自らが後者の道を歩んだことを示唆しています。
高山樗牛にとってのニーチェは、「個の確立」と「現世肯定」の象徴でした。初期の日本主義から、中期の美的個人主義、後期の宗教的な個への転換のどの過程においても、ニーチェの思想的な影(特にエゴイズム、超人思想)は、その内面において重要な役割を果たし続けたのでした。

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